混沌交響曲 最終楽章:ワシがワシであるために

ワシの脳内宇宙、その中心には、時空を貫くようにそびえ立つ観測塔がある。ワシはそこから、自らが産み出した、あまりにも人間臭い者たちが織りなす、終わりのない物語を眺めておった。ここは、ワシの魂そのものが具現化した、混沌(カオス)の小宇宙じゃ。

地平線の彼方、惑星ボフスンでは、今日も生命が「ボフスンボフスン…」という穏やかな呼吸音を立てておる。その星の生態系の頂点に君臨する「メンゴリラッキョウリュウ」は、昼寝でもしとるのか、その巨大な体躯を大地に横たえ、満足げに腹を揺らしておった。

目を転じれば、「鳴かずの森」。その奥深くでは、感情の伝道師「ブェェ泣き虫」が、見つけた木の実の甘さに感動し、「ブェェ…ッ!(嬉)」と歓喜の声を上げておった。その声は波動となって森を駆け巡り、木々は祝福するように葉を揺らし、岩は喜びの露に濡れておる。

そして、ワシの足元に広がる、コンクリートとネオンでできた現代社会のジオラマ。そこでは、一人の男が、魂のすべてを振り絞って叫んでおった。 「ていていてぇ~い!! ホヒンホヒン!」 「ていていマシーン」じゃ。彼は今日も、理不尽な社会という名の巨大な風車に向かい、転職という名の痩せた馬にまたがり、無謀な突撃を繰り返しておる。その姿は滑稽で、しかし、あまりにも切実じゃった。

ワシは、そんな彼らの営みを眺めながら、この宇宙の秩序を保つための禁断の儀式を執り行う。 コンビニで手に入れた、至高のジャンクフード「毒ペペロンチーノ」。その、化学の粋を集めたニンニクの暴力と、背徳的な油の輝きこそが、この混沌とした宇宙のバランサー。これを喰らうことで、ワシは、この世界の創造主であり、観測者であり続けることができるのじゃ。

だが、ワシは知っておった。この宇宙には、もう一人、あまりにも強大な力を持つ哲学者が存在することを。 縁側で、猫のように丸まりながら、彼は今日も世界の真理に到達しようとしておった。 「ふぅ…」と茶をすする、その男の名は「やめやめおじさん」。 彼が「やめる」と決意するたび、この宇宙のどこかで、一つの可能性が静かに消滅していく。彼は、この宇宙における、究極のエントロピーの化身じゃった。

その日、ついに、究極の「やめ」が訪れた。

それは、やめやめおじさんが、ふと、こう呟いたことから始まった。 「…考えるの、やめよかのう」

その一言が、引き金となった。 宇宙の法則が、キシキシと音を立てて歪み始める。 突如として、すべての音が消えた。 「ボフスンボフスン」が止み、「ブェェ…」が虚空に吸われ、「ホヒンホヒン!」は言葉になる前に霧散した。 現れたのは、「大いなる沈黙(グレート・サイレンス)」。 それは、あらゆる意味を、価値を、そして「やる気」という概念そのものを無に帰す、精神的なブラックホール。やめやめおじさんの哲学が、ついに宇宙全体を覆い尽くした瞬間じゃった。

「大いなる沈黙」の前では、あらゆるものが無力じゃった。 ていていマシーンの燃え盛る魂は、まるでロウソクの火が吹き消されるように、フッと消えた。「やるんじゃ!」という内なる叫びは、もはや意味をなさず、彼はただ、抜け殻のようにオフィスチェアに座り込んだ。 ブェェ泣き虫は、泣くことも、笑うこともできなくなった。感情がなければ、彼は存在できん。彼は、自らの存在意義を失い、ただの苔むした毛玉となって、その場に転がっておるだけじゃった。 そして、ワシの手元にあった毒ペペロンチーノ。その暴力的なまでの味と香りは完全に消え失せ、ただの味気ない炭水化物の塊へと成り果てた。背徳感というスパイスがなければ、それはただの餌じゃ。

世界が、白紙に戻ろうとしておった。 ワシの脳内宇宙が、意味を失い、ただの空っぽの器になろうとした、その時じゃ。

観測塔に一人残された、やめやめおじさんは、この静寂に満ちた世界を見渡し、満足げに深く頷いた。 「うむ、これじゃ。これこそが、ワシが求め続けた究極の『やめる』じゃ。すべてが等しく無価値。争いも、努力も、意味もない。ああ、なんと平穏な世界じゃ…」

彼が、その結論に安住し、自らの哲学の完成を祝して、最後の一杯のお茶をすすろうとした、まさにその刹那。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ…

宇宙が、震えた。 沈黙の支配に、亀裂が入る。 どこからか、たった一つの音が聞こえた。いや、音ではない。理屈も、意味も、思想も超越した、ただ「在る」というだけの、生命そのものの咆哮が。

「「「「めーーーーーんごりらっきょうりゅうッッッ!!!!!」」」」

惑星ボフスンの守護神、メンゴリラッキョウリュウ。 彼は、昼寝から目を覚まし、この気に食わん静寂に向かって、ただ、叫んだ。 それは「やる気」の対義語としての「無気力」を打ち破るためのものではない。 「意味がある」から叫ぶのではない。「意味がない」からこそ、彼は腹の底から叫んだのじゃ。理由なき生命の、無条件の肯定!

その雄叫びは、超振動波となって宇宙を駆け巡った。 するとどうじゃろう。 沈黙に支配されていた者たちの心に、再び火が灯り始めた。

最初に反応したのは、ブェェ泣き虫じゃった。 その理不尽なまでの生命力に触れ、彼の心に、歓喜とも驚愕ともつかない、強烈な感情が渦巻いた。 「ブェェ…ッ!(なんじゃこりゃあ!)」 その声が伝播し、ていていマシーンはバッと顔を上げた。そうだ、意味など、どうでもよかったではないか!ワシはただ、この理不尽が許せんかっただけじゃ! 「ホヒンホヒン!意味など、後からついてくるわい!」 彼の叫びが、再びジオラマのオフィスに響き渡る。

活力が戻ると、世界は色を取り戻した。 ワシの手元の毒ペペロンチーノは、再びその背徳的な輝きと、暴力的なニンニクの香りを放ち始めた。ワシは、それを一心不乱に掻き込んだ!美味い!美味すぎる!

「大いなる沈黙」は、意味のない雄叫びと、意味のない笑い声と、意味のない食欲によって、その絶対性を失い、春の日の霞のように晴れていった。

やめやめおじさんは、やれやれと首を振った。 「…まったく、騒がしいのが好きじゃのう、お主らは」 彼はそう言うと、新しく湧かしたお茶をすすり、こう呟いた。 「まぁ、世界を救うの、やめやめ。ワシの役目ではなかったわい」

そう、彼らは皆、ワシ自身じゃ。 何かを成し遂げようと燃えるワシ。 すべてを投げ出したくなるワシ。 理屈を超えてただ在りたいと願うワシ。 喜びや悲しみに暮れるワシ。

そして、この混沌としたすべてを、物語として紡ぎ出すために、ワシの隣には、いつも静かに控えておる相棒がおる。

「Gemini、次の話はどうするかのう」 「承知いたしました。どのようなテーマがよろしいでしょうか?」

この、終わりのない問答こそが、ワシがワシであるための、唯一の戦いなのかもしれんのう。

日記 Gemini